いつかはこういうサイトを作りたい
見た目の美麗さではなく、ユーザーが見て、操作して気持ちのいいサイト。
この目標は果てしなく遠いが、少しずつでも近づいていけるものだと思っている。
見た目の美麗さではなく、ユーザーが見て、操作して気持ちのいいサイト。
この目標は果てしなく遠いが、少しずつでも近づいていけるものだと思っている。
よくないことだとは分かってはいるんですけどね、感情的はどうしてもこうなってしまうことが多いです。
そこを意識せずとも自然に抑えられるようになると生きるのがもう少し楽しくなると思います。
できないから年中ストレスまみれなのですが。
予防線を張り巡らし、遠回しな表現をすることで、何が言いたいか分かりづらくなっている記事を見かけると、その状況をとても残念に思います。
そう見えるのは私の妄想かもしれませんが。
先に言っておきますが、主にウェブデザインやウェブサイトのフロントエンドを扱うブログの話です。また、特定のブログを例として挙げていますが、あくまで例としてであって、叩くつもりはありません。
はてブでほぼ毎回のようにホットエントリー入りするブログがあります。そのブログの記事自体は置いといて、そこにコメントをする人々(はてブやツイッター、ブログコメント欄)の一部には、こういう系統のコメントをつける人がいます。
「さすが○○さん、勉強になります!」
「やっぱり○○さんの記事は参考になるなあ」
本当ですか?
優れたブロガーが優れたデザイナー/エンジニアとは限りませんよ?
それに、誰だって間違うことはあります。
何でもかんでも疑ってかかればいいというものでもありませんが(疲れますしね)、鵜呑みにするのもどうかと思うわけです。そういう人たちを見ていると。というかそもそも記事読んでるんでしょうか。
この手のブログは、誰が書いたかより何が書かれているかを重視して読んだほうがいいと思うのです。もちろん、○○さんの書いていることだからある程度信用はおけるだろう、というフィルターがかかるのは仕方のないことです。私だってそうです。
ただ、それが「○○さんが言っているんだ、確かに納得!」みたいになってしまうとちょっと問題があるのではないでしょうか。
少し前のことになりますが、とあるブログの人がどこかのサイトをリニューアルしたという記事を書いたとき、コメント(ブクマコメント・ツイッター・ブログコメント)の意見が綺麗に二分されたことがありました。
一方は「やっぱり参考になる」「こうやって説明してくれるのはありがたい」といったもの、もう一方は「手順はともかく、そういうことやっていいの?」「そもそもこのデザインはコンテンツの内容とかクライアントの要望に合ってるの?」といったものでした。
そして、しばらくするとそのブログからはそれまであった全ての記事のコメントがなくなりました(今は違う方法でコメントを受け付けています)。問題点を指摘された該当部分も削除されました。
私はあの記事を読んで「いくらなんでもこれは駄目だろう」と考え、他の人の反応はどうだろうと各所の反応を見に行きました。そして、結果は上のようなものでした。そのとき「ああ、この人たちは記事の内容より誰が書いたかが重要なんだ」と思いました。それまでも似たような思いは何度かしましたが、このときが一番強く印象に残っています。自分と感想が違うからとかではなく、微塵も疑問を抱いてなさそうなコメントを見てそう思いました。
デザインはともかく、あの記事の方法がいいものか悪いものなのかは分かりませんが、私はやってはいけないことの1つだと考えています。そして、それを「そうなんだーいい方法教えてもらっちゃった」など単純に考えてしまう人はもう少し自分で考えることをしたほうがいいとも思います。
そういう人たちは自分がファンだと思っているのかもしれませんが、何を書いても褒めたり称えたりするような人はファンとはいえません。信仰心をアピールする前に、他にすることはないのですか?
こういったブログを読むときには記事の中身に集中してほしいのです。誰が書いたかなんて内容にはほとんど関係ありません。ちゃんと読み終わったときにでも思い出して、よかったのなら「ためになった」と思えばいいのです。
「やっぱり参考になる」「さすが○○さん」ではなく「この記事は参考になった」と考えた方がいいんじゃないかと思います。そこにはそのブログが好きか嫌いかなんて問題は入りません。そして「この記事は参考になった」が積み重なってファンになるのは構いませんが、「さすが○○さん」になってしまわないようにもしたいところです。
逆も然りで、嫌いな人が書いているブログでも本当に参考になったのならその記事は評価すべきです。感情的には納得しづらいでしょうが、自分の知識・技術の糧になったかを考えて行動したいものです。
まとまりのない文章で申し訳ありませんが、簡単に言うと「誰が書いていようが、読んだら自分でも考えたり試したりしたほうがいいですよ。評価はその後でも遅くないんだから」ということです。
ウェブデザインのギャラリーサイトを見てて思ったんですが、世の中には非常に綺麗でインパクトのあるサイトが多いですね。
そういったサイトで、ブラウザの表示領域をフルに使ってダイナミックな動きをしたり、特殊なギミックを使って強い印象を与えようとしているサイトも多いです。
そういったサイトの一部に、一番最初に画像やら何やらをロードし終わってからページを表示するところがあります。
フル Flash サイトにも言えることですが、ページを見に行って最初にローディング画面を見せられるのは結構ストレスです。
もちろん、ウェブサイトである以上は様々なものをロードしなければなりませんが、それでも、5秒以上もロード画面を見せられるとうんざりします。
JavaScript や CSS3 を使って様々なエフェクトを実装し、見に来る人に印象付けたいのは分かります。上手くいけば「あのかっこいいサイト」とか言われたりするかもしれません。
ですが、そのサイトはお客さん、または情報を求めている人に見せるためのものです。
派手なエフェクト、特殊なレイアウト、そういったものの利用には慎重になるべきではないかと思います。
使うなと言っているわけではありません。
実際、ちょっと変わったギミックなどを使っていても分かりやすいサイトはあります。
そのサイトは訪問者を待たせてはいないか、待たせるにしてもどのくらいかかるのか、実装したエフェクトは見る側にとって不便にならないか、そういったことは確認すべきです。
先ほど書いたように、上手くいけば訪問者に深く印象付けることができ、そこから更に訪問者を増やすことができるかもしれません。
しかし、そうでない場合、その訪問者には「重くて使いづらいサイト」として記憶され、再び訪れてくれる可能性は低いでしょう。
新しいテクニックやウェブデザイン、サイト上のギミックなんかは私も大好きです。
好きだからこそ、利用する側の人に「何やってるかは分からないけどああいうサイトうざい」みたいに思われたくないのです。
かつて(今も)はフル Flash サイトがよくそんな感じで言われていましたが……。
収拾がつかなくなってきたので中途半端なまま終わりますが、とにかく、訪問者に与える(結果的に与える)ストレスはなるべく減らしていきたいものですね。
私もですけどね。
知ってるつもりな人同士(本人は分かってると思ってる)でも譲れない何かがあるとかないとか。
先に進みたければもっと知ることが必要だと思います。
学び、間違え、また学ぶ。
学校でいうお勉強じゃなくても同じ。もちろん、遊びでも。
主にテキスト主体のブログの話です。
美麗なデザイン、斬新なレイアウト、そういうのもいいでしょう。自分のサイトは綺麗にしたいですからね。
ですが、読者は記事を読みにきているわけです。その読む行為を不便にするようなデザインは害悪ですらあります。
自分が自分のブログに求めているものと、読者が求めているもの、その違いは少なくあるべきです。
極論を言えば、スタイルシートや JavaScript などなくても、ブログのタイトル、記事タイトル、記事本文、公開日時があれば十分その役割は果たせるのです。
自分のブログに来る読者の多くが何を求めているのか、それを考えることも必要です。
ですので、ブログデザインをするときには、まずは読みやすいかどうかを考えて作るべきだと考えています。
読みやすさについて考えるべきことは山のようにありますが、まずは自分が分かる範囲で始めるといいでしょう。自分のブログなら好きなタイミングで手を加えることが可能だからです。
新しく学んだら、その時にそれを反映させればいいのです。
Don’t just use the latest technique to use the latest technique, think carefully about every decision you make.
via: http://www.viget.com/inspire/html5-elements-irresponsible-choice-right-now/
「たった○ヶ月(○週間)でアクセスを××倍にした方法」みたいな記事をよく見かけます。そしてよく大量にブックマークされたりツイートされたりしています。
ただ、読んでみるとスパムまがい(はてブスパムとか)だったり、ファンという名の拡散奴隷を量産してアクセスを稼ぐ方法がほとんどです(ある人はソーシャルスパマーと言っていました)。
それに加えて「タイトルの付け方」みたいな内容ですね。
「アクセス」がページビューなのかユニークユーザーなのかは謎ですが、ここではページビューということにしておきます。
これからブログを始めようと思っていたり、今ブログをやっていてアクセスが伸び悩んでいる人が食いついているのかは分かりませんが、とにかくこの手の記事は人気です。
これについては色々と思うところがあるのですが、全部書くと疲れるのでまたの機会に。
ただ、これからブログを始める人はアクセスを伸ばそうと考える前に、なぜブログを書くのかを考えてみたほうがいいんじゃないかと思います。
アフィリエイトで何が何でもアクセスを稼ぎたいとか、記事の中身よりアクセスだ、という人はまた別です。アクセス数が多いからといってアフィリエイトで稼げるかどうかは別問題ですけどね。
「こういうことを学んだから、書いておけばこれから学ぶ人の役に立てるかもしれない」
「より詳しい人から指摘があれば、自分にも後から読む人にもいいものになるかもしれない」
「これはまだあまり書いている人がいないけど、分かりやすく解説しておけば認知度が上がって誰かがもっと素晴らしい記事を書くかもしれない」
私がブログを書くのはこういう動機が多いです。
また、記事の質については目標を持ってやっています。
「いつか記事を読み直して『これを書いた自分にありがとうと言いたい』と思えるようなことを書く」
これだけです。受け売りですけど。
残念ながら達成されたのは片手で間に合う程度の数ですが、何も考えずに書くよりはいいと思っています。
やはり自分で自分のためになるものを書くことが、何よりも大切だと考えているからです。
もちろん、数時間・数日かけて書いた記事が人気になって、ページビューは右肩上がり、はてブ数も500オーバー、ソーシャルメディアでも「いいね!」やら「+1」やらが大量につくのは気持ちがいいものです。苦労した甲斐があったと、感慨にふけったりもします。
ですが、それだけを追い求めるようになってしまっては何かの中毒者のようになってしまいます。
これらの数字はあくまでもおまけであり、本質ではありません。
アクセスがほしいのか自分の記事は評価されていると自慢したいのかは分かりませんが、数時間おきに記事の宣伝をしたり、自分の記事へリンクしたツイートをリツイートしまくったり、そんなことをしなくても、ちゃんと書いていればその情報をほしがっている人はいつか自分の記事へ辿り着いてくれるでしょう。
タイトルで釣らなくても、中身がまともなものなら評価はされます。それは決して大勢ではないかもしれませんが、その情報を求めている人、その分野で活躍している人、そういった人に評価されるのなら十分すぎるほどです。
そしてそれは自分にとっても喜ぶべきことです。
そうして真面目にやっていれば、読みに来る人も増えるでしょうし、ソーシャルメディアでのフォロワーも増えるでしょう。
アクセスを稼ぎたいだけの人ではなく、まともに活動している人たちとの交流も増えるかもしれません。
これもまた嬉しいものです。そういった人たちは自分にとっての先生や同分野の仲間となり、よりモチベーションを高められるからです。
ブログの宣伝をするなと言っているわけではありません。ブログの更新を楽しみにしている人にとっては、ソーシャルメディアなどでの更新報告は嬉しいものです。
ですが、それにも限度があるだろうということです。
長々と書いてきましたが、簡単に言うと、自分のブログは何のために書いているのか、誰のために書いているのか、ほんの少しでいいから考えてみる機会を持ってほしいのです。
「そんな綺麗事でやってられるか」という人もいるでしょうが、それは仕方のないことです。
自分の意見を強制するつもりはありません。
誰か一人でも、ちょっと考えてみようと思ってもらえたらそれでいいのです。
普段言いたくても場の雰囲気的に言えないことが多い。
そういうストレスを軽減し、心の均衡を保ちたいのでここに書いていくことにする。